2015年5月31日日曜日

信長公ゆかりの城 ~古渡城址~


1. 今日も名古屋は真夏日。暑かったです…。
5月も、もう終わりですね。
 

2. ところで、大学時代、私は、歴史文学のサークルに入っていました。
 今、はやりの、歴女?
 実際には、法学部に女子が少なくて、女子高育ちの私は淋しく思っていたところ、歴史文学のサークルに、2人も法学部の女子がいるのを知り、感激して入ったという経緯があり、あわてて、司馬遼や平家物語を一生懸命読んだりしました…(汗)。
 とはいえ、亡父が、歴史好き、お城好きだったため、日本各地にある史跡やお城には、小さいころから、よく連れて行ってもらったものです。
 大河ドラマも物心ついたときには家族全員で見ていました。
 記憶に残っている最も古い大河ドラマは、「国盗り物語」。
 その頃、美濃のお城(岐阜城)に連れて行ってもらったのがとても嬉しかったのを覚えています。その際、ミニチュア番傘を買ってもらい、その後、観光地で集めました。最初のコレクションかな…。
 
油売りから身をおこし、美濃の国を手中におさめた斎藤道三。
名前をどんどんかえたんですよね。
 
ミニチュア番傘のコレクション(笑)
小学生のころ、宝物でした。
  

3. 名古屋に来てからも、時々、お城や史跡をまわっています。なんといっても、愛知県は、三英傑を生んだ土地柄。ゆかりのお城や史跡もいっぱいあります。
 今月初めには、古渡城址をたずねました。
 古渡城(ふるわたりじょう)は、織田信長の父である織田信秀が築城し、織田信長が元服をした城だといわれています。
 碑が東別院の境内にあるほか、城址の一部は、下茶屋公園になっています。
 碑の横にあった立札には、古渡城は、天文11年(1542年)頃、織田信秀により築城され、東西140メートル、南北100メートルの平城であり、周囲に二重の堀があったが、天文17年、信秀が末盛城に移り、廃城になったとあります。
 
東別院の境内にある古渡城址の碑。


 下茶屋公園は、黄菖蒲(?)がとてもきれいでした♪
下茶屋公園の黄菖蒲。
この写真を撮った後、写真左下に写っている階段をおりました(汗)。

 
 黄菖蒲を撮ろうと階段をおりて近付こうとしたら、ズボズボッと足がめりこみ、「!?」と思った時には、サンダルが片方脱げて、片足が泥まみれ…。とりあえず、コケなくてよかったです(汗)。
 それを上からみていたご婦人が、「そこは、いつもは、水がはっているんですよ~!こっちに、水道があるから、洗いなさ~い。」と教えてくださいました。感謝です…。

足を洗ったあと、安全な足場から、黄菖蒲を撮影。
後ろに写っている白い建物は、以前勤めていたテレビ局。
でも、勤めているときに公園に立ち寄ったことはなかったかな…。
「でる」って聞いたことがあるんですけど…(怖)。